高井商店について

「人とのつながり、五感を大切にしたい」 代表取締役社長 高井 悦成

ごあいさつGreeting

人と人とのつながりで歴史を築いてきた高井商店。
創業当初から半世紀に渡り、新潟中央卸売市場から直接、海産物を仕入れることができたのも、たくさんの人との関わりから始まったことです。
以来、鮮度と品質にこだわった生鮮食料品の販売を続けてきましたが、今もなお、地域のみなさまからご支持をいただけることに、大変感謝しております。
毎日の暮らしに役立つこと、日々の生活を支える役目を担うことを大事にして、ここまで歩んでまいりました。

また、新潟市西区にて新たに“人の集うところ”を作るため、平成15年には飲食業への参入を果たしました。
弊社の持つ独自の手法を活かしたサービスで、幅広くお客様にご満足いただけるように心がけております。
新潟の食文化を伝える商品「海老味噌」の開発は、これからも地域を大切にしたい弊社の思いを形にした新たな取り組みの1つです。

人が本来持っている“五感”を常に意識しながら、これからもお客様にご満足いただける商品やサービスとともに、空間や空気感などもあわせて提供していきたいと考えております。
これらの取り組みが、のちに地域社会への貢献につながっていくことを切に願っております。

会社概要Company info

会社名 株式会社 高井商店
住所 〒950-2112 新潟県新潟市西区内野町480番地
電話 025-262-5171
FAX 025-262-1371
創立 昭和23年
設立 昭和33年
決算期 1月
社員数 82名
役員 代表取締役会長 高井慎二
代表取締役社長 高井悦成
代表取締役専務 高井栄二朗
事業内容 スーパーマーケット経営
飲食店経営

企業理念Corporate Philosophy

顧客満足 お客様の為に誠心誠意の行動、対応すること
環境共生 汚染しない、無駄にしない、再利用可能な資材を使用して環境に配慮すること
地域、社会、経済への貢献 雇用、納税によって地域、社会、経済に貢献すること
サービス向上 常にお客様目線での考察をすること
商品への探求 常により良い商品への考察をすること

サスティナビリティSustainability

高井商店は「我ら共有の未来」の定義に基いて行動していきます。

経済的持続可能性 適正な市場価格での取引を行います
社会的持続可能性 社会的価値を作り出すことを目標にし、「成長」「発展」します
環境的持続可能性 「汚染しない」「無駄にしない」再利用可能な資源を使用します

沿革History

時代が変わっても、ずっと大切にしたいもの
昭和23年(1948年)

初代・高井市蔵が製塩業を営むための塩炊き小屋の土地を購入。
場所柄、人が集まるため、よろずやを開業。生活雑貨、塩干物の販売、長靴の修理、食堂などさまざまなサービスを提供。自転車にリヤカーをつけて、現在の新潟市西区内野から中央区本町付近まで、毎日仕入れに大忙しだった。

当時を振り返って...
取締役会長 高井慎二(高井商店二代目)

当時、私はまだ6歳でした。店舗は現在の新川の往来橋のたもとにあって、遊びに行くこともあったので、お店のことはよく覚えています。よろずやだから、何でもやってましたね。いろんな商品をかごに入れて売り歩く担ぎ屋さんが主流だった時代で、後には担ぎ屋さんに商品を卸すようにもなりました。

昭和33年(1958年) 株式会社 高井商店として法人登録。
昭和34年(1959年) 「鉄道を利用する人に向けて商売をした方がいい」と学生だった高井慎二(のちの二代目社長)のすすめで、内野駅前に土地を購入。

当時を振り返って...
取締役会長 高井慎二(高井商店二代目)

高校生になって本格的に仕事を手伝うようになりました。これまでも配達について行ったりしていましたが、16歳で車の運転免許を取り、親をトラックに乗せて仕入れに行くこともありましたよ。父へ土地のことを助言しましたが、昭和35年になると、私は大学進学のために東京へ上京。楽しい時代の始まりです(笑)。でも、初代にとっては私の助言が背中を押したんじゃないかと思いってます。

昭和43年(1968年) 大学を卒業した二代目の慎二が新潟へ帰り、同年12月によろずやからスーパーマーケットに業態転換を果たし、「いちまん」が誕生。

当時を振り返って...
取締役会長 高井慎二(高井商店二代目)

このころ、徐々にスーパーマーケットが出来始めた時代。「いちまん」という店名は私が名付けました。「安い商店ならばいいが、高井=高い商店では、名前が良くない」と思い、初代である父・市蔵と母・満枝の名前から一文字ずつ取って「いちまん」にしました。知人に「おいしそうな名前だ」と言われて「これで行こう!」と決めました。当時は食品の仕入れ、販売はもちろん、お刺身を作るのも私がやりましたよ。そのうち「魚はいちまんで買った方が良い」と評判になりました。

昭和58年(1983年) 新潟大学の西門前に「いちまん」2号店を開店。コンビニがまだ少ない時代に深夜12時まで営業し、夜中まで大学生でにぎわった。

当時を振り返って...
取締役会長 高井慎二(高井商店二代目)

実は最初、深夜2時まで営業していました。とにかく繁盛しましたよ。昔の学生さんは自炊する人が多かったので、スーパーマーケットを利用する方がたくさんいました。

昭和63年(1988年) 国道116号線沿いに3号店となる「ルートコンビニ いちまん」を開店。

当時を振り返って...
取締役会長 高井慎二(高井商店二代目)

国道を通る人のための小さなコンビニタイプのスーパーマーケットとして作りました。名前にも「ルートコンビニ」と付けました。

平成15年(2003年)
12月12日
海鮮をメインにした旬の肴とお酒を提供する「japanese restaurant 旬菜 籐や」開店。

当時を振り返って...
代表取締役社長 高井悦成(高井商店三代目)

会長から「内野で居酒屋をやらないか」と声をかけられ、高井商店の得意な鮮魚を活かしたお店にしようと思いました。オープン当初はお客様が殺到し、「魚が新鮮で美味しい」と喜ばれました。

平成19年(2007年)
1月24日
アジアンスタイルのカフェ「Café & 居酒場 Lotus Land」開店。

当時を振り返って...
代表取締役社長 高井悦成(高井商店三代目)

カフェブームが始まった頃で、バリスタという職業が知られるようになりました。深夜まで営業するので、店名に「居酒場」と付けました。場所が大学前なので、学生さんがたくさん来て、開店当初は眠る時間がないほど忙しかったですね。

平成24年(2012年)
5月31日
「いちまん」の店舗をリニューアルし、店名を「ichiman」に改名。

当時を振り返って...
代表取締役社長 高井悦成(高井商店三代目)

専務と相談し、駐車場の拡大、店舗の改装、看板を新しくしました。名前の表記も改名しましたが、商品のラインナップはこれまでと変えずに「いちまんはいちまんらしく」を大切にしました。

平成27年(2015年)
12月8日
「Café & 居酒場 Lotus Land」の店舗をリニューアルし、店名を「Lotus Cafe」に改名。

当時を振り返って...
代表取締役社長 高井悦成(高井商店三代目)

以前から付けたかった名前に改名。開店当初に比べて、周辺に居酒屋さんが増えたので、それまで提供していた居酒屋メニューを減らして、バルのメニューを導入しました。食事やカフェとして、たくさんの方に利用してもらえるお店になりました。

平成28年(2016年)
2月25日
「japanese restaurant 旬菜 籐や」の店舗をリニューアル。

当時を振り返って...
代表取締役社長 高井悦成(高井商店三代目)

開店から12年経ち店舗を補修しました。全体のイメージやコンセプトはこれまでの籐やを踏襲しています。

平成29年(2017年)
7月25日
肉居酒屋「にくの玄天」開店。
赤身肉ブームもあり、内野町にも美味しい赤身肉を提供するお店を作ろうと思い、開店しました。
寺尾にあった「鉄板焼三田」が使用していた三田ファームの村上牛を取扱い、土佐のあか牛、新潟県産豚、新潟県産牛とこだわりの食材が揃ったお店です。
平成30年(2018年)
11月23日
肉居酒屋「にくの玄天」2階オープン
今まで1階のみでの営業をしていましたが、大人数宴会のご要望に対応するため、2階座敷席を作りました。
1階27席、2階24席の計51席となりました。
平成31年(2019年)
7月25日
「ichimanいちまん」のレイアウトリニューアルオープン
「いちまんはいちまんらしく」をもっと強化するため、買い周りのしやすいレイアウトに改装し、いちまんが得意とする生鮮品売り場を拡張しました。

高井商店二代目 取締役会長高井 慎二

私が小学生のころ、父が営む高井商店が開業し、高校生の時にはすでに商売の手伝いをしていました。時代とともに大きく変わるものもあれば、変わらないものもあります。これまでも、これからも信頼して選んでくださるお客様の声に応えられる高井商店であり続けたいと思います。

よろずやの頃の食堂の様子。
一番左が現会長・高井慎二

懐かしい三輪車のトラック。
初代・高井市蔵

二代目・慎二が高校生の頃に仕入れで使っていたトラック